能の元となる芸が「いつ、誰の手により日本に到来したか」という点は興味深い論点のひとつでしょう。そして、その手掛かりとなるのが日本と中国を往き来した使者達や渡来人です。

 そして、その渡来人の正体は、いったい、どんな人たちだったのか……?
 いや、能を持ち帰ったのは渡来人ではなく、日本からの使者かもしれません。
 さらに、その人々はどの時代を生きたのか……?
 遣隋使の時代なのか、遣唐使の時代なのか、あるいは卑弥呼が送った使者なのか……?
 そういった疑問について手元の資料だけでみてみると、最も古い時代の手掛かりがありました。そして、その人物は、現在の金春流の始祖といわれる秦河勝(はたかわかつ)でした。
 信憑性は判然としませんが、その説では、能の起源を持ち込んだのは、秦氏の祖といわれる弓月(ゆみつき)君ということになります。
  すると、能の起源は、紀元前に栄えた秦王国の時代に関係するのか──?、という疑問と創造が膨らみます。



【弥生】
前202年 紀元前3世紀頃  古代の中国で秦が滅びる
前107年 倭王国が後漢に使者を送る
後239年 卑弥呼が魏に使者を派遣

【古墳】266年〜を目安
4〜5世紀頃 秦氏の祖といわれる弓月(ゆみつき)君が渡来。養蚕と機織り伝える

【ミニ・コラム】
 秦氏もこの頃に渡来。秦氏は金春流の始祖といわれる秦河勝の先祖の可能性がないわけではない。

【飛鳥】587〜を目安
7世紀初頭 隋の裴世清が泰王国を経由して倭国へ入る(隋書倭国伝より)

【ミニ・コラム】 秦王国は所在は、山口県東部説と福岡県と大分県境の説があるようです。

600年 この頃、聖徳太子が初めての遣隋使を派遣。

【ミニ・コラム】 遣隋使には音楽を勉強に行った人も含まれていましたので、その時、能に関係した何らかの芸が伝来した可能性はあるでしょう。

603年 金春流の始祖といわれる秦河勝氏が京都の広隆寺を建築

【奈良】710年〜
735年 『続 日本記』に散楽に関する記述

【ミニ・コラム】 記録に残る「散楽」はこのあたりがより古いようです。

752年 東大寺大仏開眼供養で散楽が演じられる
782年 散楽の演者を養成する国立の学校「散楽戸」が廃止

【ミニ・コラム】 廃止の理由としては、決して散楽が不人気のためではないようです。その理由ははっきりとはわかっていませんが、一説には、「人気が高く演者が急増したため散楽を養護する必要が無くなったため」という説や、「国で演者を育成するには芸が庶民的過ぎたため」という説があるようです。

784年 長岡京、始まる

======================
 [参考資料]
======================