日本の伝統芸能「能」について、基本的な解説と雑学を交えて気楽に学んでいただく入門編です。


宗教劇としての能
 宗教劇としての能今回は能の宗教劇としての面をお話しして参ります。
 能は基本的に『宗教劇である』と言われていますが、ご覧になって居る皆様はどのように感じられているでしょうか? はっきりと宗教色を前面に押し出している曲も多いのですが、宗教色は隠されている曲も多いのです。

  能の曲は5つのグループに大別されています。初番目脇能物は神様の縁起物語ですから、当然宗教色の濃い物語になっています。
  二番目修羅物は、武将が人を殺めた罪で堕ちる「修羅道」と言う地獄の苦しみから救って欲しいと旅僧に頼み、その経文の功徳によって救われるという物語です。
  三番目鬘物は、女性や草花の精霊が経文や和歌の功徳によって成仏する話が多く、四番目狂女物は生き別れた子供を捜す母親や恋人を訪ね歩く女性が、道すがら神仏に祈誓しその導きによってその相手と巡り会うと言う話になっています。
  五番目切能物は、鬼退治に向かう武将達を主人公としますが、その武将達も行く前に石清水八幡宮や清水寺に参り、戦う前に「南無八幡大菩薩」と祈ることによって鬼神を退治します。武将の腕っ節の強さではなく神仏のご加護によって勝てたという話になるわけです。

  例えば「俊寛」と言う曲。これは清盛からの怒りが強かった俊寛僧都一人が鬼界島に取り残される話ですが、能では、同時期に島流しになった丹波少将成経と平判官入道康頼は、島で三熊野(本社・那智・速玉)に見立てた神仏に毎日帰りたいと祈り続けた事で、赦免の使いによって都に帰ることができ、神に祈らなかった俊寛はその罰により取り残される・・・という話が主題になっています。
  このように、能は当時スポンサーであった武士達の注文に応じて、その信仰している宗派や菩提寺などを讃える曲を作っていった・・・、ようするに現代のCMソングやプロモーションビデオと同じ役割を担っていた曲が数多くあると言う訳です。
  私たちが舞台で演じていても露骨にある寺を”ヨイショ”としている曲も多く、当時の宗教界の勢力図がかいま見られ、面白いと思いました。
  能に「日蓮宗」を扱った曲が少ないのですが、これは、日蓮宗が民衆の中から生まれた宗教であるためと理解できます。日蓮上人は題材としては面白く、「現在七面」や「身延(みのぶ)」のようにワキをシテのように重く扱うことからも、当時の日蓮上人のカリスマ性を感じ興味を覚えます。ですから、ご依頼が有れば個人の業績を称えた筋書きの能を創ることも可能だ(・・・だった)というわけです。