弥生時代から奈良時代にかけて、中国から散楽(さんがく)という芸能が渡来しました。その散楽は、のちにより日本的な芸である猿楽へと変化し、その猿楽がさらに能楽へと発展したという説があります。


 ただ、これだけ古い時代の話となると解らない点が多くありますが、逆に、解らないからこそ、古代の能へと創造が膨らむ時代でもあります。 とくに、能楽に発展したといわれる散楽、あるいはそれに類する芸が「いつ、誰の手により日本に到来したか」という点は興味深い論点のひとつです。

 そして、その手掛かりとなるのが日本と中国を往き来した使者達や渡来人です。

 手元の資料で最も古い時代の手掛かりとしては、金春流の始祖といわれる秦河勝(はたかわかつ)という渡来人の名前があげられます。

 秦河勝は機織りの技法などを大陸から日本に持ち込んだ人物で、中国の秦王朝と関わりのある弓月(ゆみつき)君に従っていたそうです(コラム参照)。 秦河勝が日本で活躍したのは4〜5世紀頃。そして、彼が仕えた秦王朝が滅んだのは紀元前3世紀初頭、つまり、日本で卑弥呼が活躍した時代よりも古い弥生時代のことでした。 金春流の始祖が秦氏であるという説は定説とはいえないようですが、渡来人だった秦氏が中国から散楽のような芸を持ち込んだ可能性は否定できないでしょう。 仮に秦氏が芸を持ち込んだのではないとしても、その時代は、遣唐使、遣隋使、そして、卑弥呼が中国に送った使者など、大陸との交流が記録に残っている時代ですから、そうした使者や渡来人によって散楽が日本に入ったという話は十分に有り得るのかもしれません。

 とにかく、時代的には金春流の始祖が秦氏だった可能性どころか、歴史上の人気者である卑弥呼と能の関係なども創造したら面白いことになりそうです。

[参照年表]弥生〜奈良